はじめに
「社内ニート」と聞くと、
“やる気がない人”“怠け者”というイメージを持たれることが多い。
でも、実際にはそうじゃない人がたくさんいます。
むしろ真面目で、責任感が強くて、
仕事を丁寧にこなしてきた人ほど、社内ニートになりやすい。
与えられた業務を早く終わらせたり、
効率化のアイデアを出したり、
誰よりも前向きに動こうとした結果、
職場の“空気”に合わなくなってしまうことがある。
私も、そのひとりでした。
「仕事がない時間」の苦しさ
最初のうちは、与えられた仕事を一つひとつ丁寧にこなしていました。
どうすれば早く終わるか、どうすればもっと良くなるか、
そんなことばかり考えていた。
けれど、提案をするたびに空気が冷たくなる。
「そんなやり方はうちではやらないの」
「余計なことしないでいいから」
そう言われるたびに、自分の存在が少しずつ小さくなっていった。
やがて仕事を振られなくなり、
一日中パソコンの前に座って、何もできずに時間を過ごすようになった。
画面を見つめながら、ただ“待つ”。
「何かしたい」と「何もできない」の間で、
心だけが削れていく。
この“空白の時間”が、どれほどつらいか。
経験した人にしかわからない。
誰も責めないけれど、誰も助けない。
会社の中にいながら、存在しない人のように過ごす日々。
その静けさが、何よりも苦しかった。
社内ニートは、職場と人の相性
でも今思えば、誰が悪いわけでもなかった。
会社の文化と自分の気質が、ただ合わなかっただけ。
「空気を読む」ことを求める職場もあれば、
「意見を出す」ことを歓迎する職場もある。
どちらが正しいということではなく、
そのバランスが合わなかっただけのこと。
それに気づくのは、簡単じゃない。
だって、真面目な人ほど「自分が悪い」と思ってしまうから。
私もずっと、自分の努力が足りないせいだと責め続けていた。
でも、少し離れてみて気づいたんです。
あの職場が合わなかっただけで、
自分という人間の価値まで否定される理由はなかったんだと。
沈黙の中で、少しずつ見えてくるもの
仕事がない時間は、確かにつらい。
でもその沈黙の中で、
「自分は本当は何を大切にしたいのか」
「どんな環境なら笑っていられるのか」
そんな問いが少しずつ浮かび上がってくる。
社内ニートという時間は、
“人生の空白”ではなく、
“自分を見つめ直す静かな時間”なのかもしれません。
焦らなくていい。
立ち止まることは、悪いことじゃない。
働けない日があっても、何もしていない日があっても、
それでもちゃんと生きている。
🌙 社内ニートは、終わりじゃない
社内ニートは、キャリアの終わりではありません。
自分らしい働き方を探す始まりです。
人より遅れて見えるかもしれないけれど、
その分、心の深いところから新しい力が生まれていく。
焦らず、比べず、静かに。
あなたがこれまで感じてきた孤独や悔しさは、
きっと誰かを救う言葉に変わる日が来ます。
このブログ《沈黙のフルタイム》では、
そんな「声にならなかった気持ち」を、
少しずつ言葉にしていきたいと思います。
みなさんの声をコメント欄に書いていただけると嬉しいです。
── 社内ニート経験者ぽしゃより


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