日曜の夜に読む話 ― 社内ニートという“無駄じゃない”時間

心とメンタル

日曜日の夜になると、胸の奥がじんわりと重くなる。

「明日、会社に行きたくないな…」

そんな気持ちを、何度も抱えてきた。

仕事が嫌いなわけじゃない。

ただ、行ってもやることがない。

忙しそうな人たちの中で、

自分だけ取り残されている感覚がつらいのだ。

パソコンを開いて、メールを一通。

それだけで一日が終わる。

周りのキーボードの音だけが響いて、

自分の時間だけが止まっているように感じる。

「何もしていない」時間の重さ

社内ニートの時間は、想像以上に長い。

時計の針が進む音さえ、やけに大きく聞こえる。

誰にも話しかけられず、

話しかける勇気も出ない。

「自分、必要とされてないのかな」

そんな思いが、静かに心を蝕んでいく。

明日が来るのが怖くて、

日曜の夜がいちばん苦手になる。

でも、あるとき気づいた。

この時間は「無駄」じゃなかったのかもしれないと。

会社という小さな世界の中で

誰かに頼られることも、評価されることもない。

そんな日々の中で、

私は“人の目”を気にする自分と、

静かに向き合うことになった。

最初は、それが苦しかった。

「どう思われてるんだろう」

「何かしないと、存在が消える」

そんな不安で心が擦り切れていた。

でも、いつからか少しずつ、

“評価されない時間”にも意味があると感じはじめた。

それは、自分の価値を他人の言葉で測らなくなる時間だった。

「今日、誰にも褒められなかった」

でも、「私は今日をちゃんと生きた」

そう思えるようになるまでには、

たくさんの孤独と沈黙が必要だった。

無駄に見える時間が、心を耕す

社内ニートという時間は、

畑の土を休ませる「休耕期」みたいなものだと思う。

何も生えていないように見えても、

実は土の中では栄養がじっくり蓄えられている。

表面からは見えないけれど、

あの沈黙の時間が、次の芽を支えてくれている。

あの頃の私は、仕事がなくて焦っていたけれど、

その裏では「自分は何をしたいのか」を

誰よりも真剣に考えていた。

それは、忙しい日々の中では

絶対に持てなかった時間だった。

あの時間があったから、今がある

もしあのとき、心が折れて会社を飛び出していたら、

きっと今の私は、ここにいなかったと思う。

空っぽな時間の中で、

“自分の本当の声”を聞くことができた。

それは、誰にも教えてもらえない学びだった。

「仕事がない」という現実の中で、

私が覚えたのは“何もしない勇気”だった。

焦らず、比較せず、

ただ今日を無事に終える。

それだけで十分だった。

そして、その積み重ねが

いつの間にか、自分を立て直す力になっていた。

副業は、“自分の居場所”をつくること

社内ニートの時間を経験した人ほど、

「自分の力で生きたい」という気持ちが強い。

でも、いきなり大きな一歩を踏み出さなくてもいい。

まずは、誰にも邪魔されない

“自分の小さな居場所”をつくることから始めよう。

ブログでも、イラストでも、ハンドメイドでも。

自分が好きなものを、

誰かにそっと見せてみる。

それが「副業」というより、

「心の居場所づくり」なんだと思う。

仕事がない時間を責めるより、

その時間を“自分に還る時間”にできたら、

人生は少しずつ変わっていく。

明日が来るのが怖い夜に

明日行きたくない。

それは、甘えでも怠けでもない。

あなたの心が、静かに「休みたい」と言っているサインだ。

そんな夜は、無理に前向きにならなくていい。

ただ、今日もよく耐えた自分を

小さく褒めてあげよう。

人生のどんな時間も、

“無駄”にはならない。

あの社内ニートの時間が、

あなたの中で確かに、何かを育てている。

焦らなくていい。

明日が怖くても、夜が長くても、

その静けさの中で、

あなたの未来は少しずつ動いている。

ーー社内ニート経験者ぽしゃより

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